二分決定グラフにもとづく量子効果デバイスの研究
朝日 昇
1998 年度 卒 /博士(工学)
博士論文の概要
本研究ではディジタル関数表現の一方法である二分決定グラフを実際のデバイスで実現する、という新しいアイデアを提案し、さらに量子効果と結びつけることにより新しい機能を持つデバイス(BDDデバイス)の構築を試みる。量子効果として、単電子の輸送を利用したデバイス、およびそれと双対関係にある磁束量子の転送現象を利用したデバイスについて考える。
二分決定グラフにもとづいたデバイスによって構成する単電子論理回路や磁束量子論理回路の設計方針を確立するとともに、その有効性について示す。
集積エレクトロニクスにおける目標の一つは、既存LSIとは異なる手法で情報処理を行う次世代の集積回路を開拓することにある。そのためには、トランジスタとは別の方法で論理動作を行う新しい機能デバイスを開発しなければならない。微細化限界にまもなく直面するLSI開発研究のブレークスルーとして、それは重要なアプローチである。そのための研究方針として、従来とは異なったディジタル関数表現のデバイス化を考えることが望ましい。
ディジタル関数のインプリメント(具現化)は2つの工程からなる。はじめに、与えられたディジタル関数を論理表現の形に表現する(Representation)。次にその論理表現を実際のデバイスで具現化する(Implementation)。ディジタル関数の表現法としてはブール代数式(Boolean equation)、真理値表(Truth table)、二分決定グラフ(Binary Decision Diagram : BDD)などの手法がある。したがって、新デバイスを構成するにも各々の表現法に適したインプリメント方法がある。
あるディジタル関数をブール代数式(論理和と論理積の組み合わせ)で表現した場合、それをインプリメントするにはスイッチ素子によるバイナリ論理ゲートの組み合わせで行う。なぜなら、バイナリ論理ゲートの構成に必要な動作は、単純なon/offスイッチングであり、ブール代数式の積和演算を表現するのに都合がよいからである。これは現在主流の方法であるが、この手法の問題点は、デバイスが必然的にトランジスタ類似となることにある。トランジスタ類似の新デバイスは、既存トランジスタとの厳しい競争のため実用の可能性が薄い。
次に、あるディジタル関数を真理値表で表現した場合には、それをメモリ素子でインプリメントする。これはROMを使って実現されており、ルックアップテーブルと呼ばれる。このルックアップテーブルでは、すべての入力組み合わせに対する関数出力をあらかじめ計算してメモリに書き込んでおく。実際の使用状態で入力が入ったときは、それに対応する出力データを単に読み出すだけである。したがって、動作速度は常に速く、関数がどれほど複雑でも関係ない。しかし、この手法では膨大なメモリ量を必要とするので、ディジタル信号プロセッサ(DSP)内でのコード変換やベクトル量子化などの限られたところだけに使われる。
ここでは新しい機能デバイス開発のためにディジタル関数を二分決定グラフで表現し、その表現法に適した物理現象を用いてインプリメントすることを考える。
二分決定グラフは有向グラフによるディジタル関数の表現法の一つであり、コンピュータを使った論理設計のためのツールとして開発された。二分決定グラフを用いると多くのディジタル関数を簡潔に表現することができる。したがって、二分決定グラフにもとづいて論理回路を構成することにより、簡潔な回路設計が可能になる。さらに、論理回路を構成するための単位デバイス(BDDデバイス)の基本動作は、単純な二分岐スイッチであり、デバイス構成には入力に従って信号媒体の転送方向を切り替えることができる様々な物理現象を利用できる。なかでも量子効果を利用して実現するデバイスは、低消費電力・超微細化の要望に合致し、次世代集積デバイスの可能性を産むことが期待できる。ここでは、量子効果を用いた構成として、単電子の輸送現象を利用したデバイス構成、およびそれと双対関係にある磁束量子の転送を利用したデバイス構成について考えた。いずれも転送による信号の減衰がなく、転送によって論理をおこなうデバイスに適合している。
近年、単一電子トンネリング現象の研究が盛んに行なわれるようになってきた。単電子を利用したデバイスは超高集積で低消費電力の可能性があると期待されている。21世紀はじめにはトランジスタの物理的な微細化限界が到来すると考えられており、これを打破するためのものとしても注目を浴びている。
単電子デバイスは、文字通り電子一個で動作をおこなうものである。メゾスコピックと呼ばれる微細領域では、クーロンブロツケードという現象を利用して個々の電子を制御することができる。これまでに単電子トランジスタ(SETトランジスタ)や電子ポンプ、ターンスタイルなどいくつかの素子が報告されてきた。これらの応用として、電荷一個の単位で測定できるエレクトロンメータや電流標準米への利用が考えられている。
ディジタル回路応用においては、Likharevが単電子トンネル素子を提案して以来、様々な構成方法が提案されてきた。これは、電子の有無を論理の1と0に対応させて動作をおこなうものである。新しい原理にもとづくため、これを巧みに利用することで新しい機能デバイスの可能性が期待されている。電子1個で動作させるので、単電子デバイスで論理回路やメモリが実現すれば、一ビットを表すためのエネルギーが小さく究極的デバイスの可能性がある。これまで従来トランジスタと同様に構成できる疑似CMOSの手法がTuckerにより提案された。しかし、トランジスタとは原理が異なり、そのまま電子1個でうまく論理を組み合わせることが難しい。電子1個で駆動するのでフアンアウトが大きくとれず、また入出力分離が悪いという問題を抱えている。そのため、複数電子を用いて動作させるべきだという意見もある。疑似CMOSで論理回路を設計した例として、インバータの優れた特性を利用し、多数決論理で動作させる方法が提案されている。また、トンネル接合とキャパシタからなるSETと通常の抵抗による負荷素子を組み合わせたR−SETというものも提案されている。
従来トランジスタとは異なる回路方式として、多相クロックを利用した位相制御形の回路、長い配線やクロス配線などのいらない近接相互作用で動作するセルオートマトン形のものが提案されている。ただし、いずれも大規模回路化するためには間があり、回路シミュレーションにおいてもゲートレベルでの報告が主である。
単電子の確率的な性質を利用した応用も考えられている。たとえば、ニューロネットワークのような柔軟性のある論理に適用するといったアイデアが提案されている。単電子回路の系の自由エネルギーを与えられた問題のエネルギー関数に対応づけて、量子アナログコンピューティングやホップフィールドネットワーク、ボルツマンマシンなどに応用するという報告もある。この他、動作原理は異なるが、電子スピン相互作用で論理を組む方式も考えられている。
作製のプロセスとしては、1987年にFultonが単電子トンネル素子をはじめて実験的に証明して以来、様々な方法が考えられている。しかし、ナノメートルオーダの素子を試作し、クーロンブロツケード現象を測定したという報告が多く出されているが論理回路を実際に作製したという報告例は少ない。最近では、グレイン超薄膜ポリシリコンを用いて、はじめて単電子メモリの室温動作を観測し、128Mメモリを作製しようという試みもおこなわれた。再現性・制御性に優れる方法として、SIMOX基板を用いてEBによるパターンニングをおこなう方法も提案されている。このほか主なものとして、アルミニウムの斜め蒸着法、グレインデルタドープGaAsのサイドゲート法、STM/AFMによる水素終端シリコンの酸化およびチタンやニオブなどの陽極酸化の方法などが研究されている。微細化技術の進展にともない、ますます単電子の応用分野の開拓が重要性を増してきている。
磁束量子は超伝導物理に特有の現象であり、ジョセフソン接合を利用した論理回路の情報媒体として用いることが考えられている。ジョセフソン接合を用いたディジタル集積回路の研究は古く、1960年代の後半からIBMが中心となって行なわれてきた。ジョセフソン接合は原理的に10 ps以下という高速スイッチングが可能であり、さらに消費電力も1μW以下と小さいので、CMOSを上回る高機能で高密度な情報処理回路の実現が期待されていたからである。ところが、1983年にこのIBMの研究プロジェクトは中止を余儀なくされてしまった。この理由は、超伝導回路が低温でなければ動作しないという問題でをまなく、作製のプロセスにおいて十分な安定性が得られなかったからであった。これに加えて良い回路アーキテクチャもなかった。しかし、ちょうどIBMの研究プロジェクトが中止した2年前から、日本の通産省を中心とした10年間にわたるプロジェクトがはじまった。そして、1980年の中頃、安定性の高いNb/AlOx/Nbを採用することで集積度の飛躍的な向上に成功した。それ以来発展を遂げ、現在では論理回路で数千ゲート、メモリで4kビットのものがつくられるまでに至った。
ジョセフソン素子を用いたディジタル回路には大きく2つのタイプがある。一つはジョセフソン接合の電圧状態と超伝導状態をそれぞれ論理の1、0に対応させる方式で、もう一つはジョセフソン接合とインダクタから成る超伝導ループの中に磁束量子が存在するか否かで1、0を判断する方式である。
前者はジョセフソン接合のヒステリシス特性を利用してラッチングモードで動作をおこなう。これまでに、4JL(Four Junctions Logic)やMVTL(Modified Variable Threshold Logic)などの論理ゲートが開発された。電総研では4JLゲートで複数のチップを実装した4ビットコンピュータの動作を実証し、富士通では8ビットのシグナルプロセッサをMVTL論理回路を用いて作製した例がある。しかし、これらの方式では1Gの動作速度を大きく超えることできなかった。いったん電圧状態になったら0状態にするには、電流を0にしないといけないからである。そのため、ジョセフソン接合に流れる電流を0に戻すために毎回極性の切り替わる交流電流で駆動しなければならない。大きい周波数で電流を供給するのは、超伝導状態へ確率的に遷移できない現象(パンチスルー)などがおこり正常動作が併証されなくなるので難しい。そこで、フリップフロップの原理に基づいて2個の接合の一方が電圧状態のときにもう一方が必ず超伝導状態にもどるように構成した、直流駆動型のHuffle(Hyblid Unlatching Flip−Flop Logic Element)回路やコンプリメンタリ回路が提案された。日立製作所ではHuffle回路で4ビットのプロセッサを作製した。しかし、この回路は、両方の接合が電圧状態となってしまうハングアップ現象やインダクタンスを小さくできないという制限があり、あまり高速にできない。
そこで、磁束の有無で論理を判定する方法として、QFP(Quantum−Flux−Parametron)やRSFQ(Rapid−Single−Flux−Quantum)といった方式が提案された。とくにRSFQは近年最も注目されている回路方式である。情報の伝達は磁束量子の転送でおこなう。ヒステリシスのない接合を用いることができ、接合は自動的に0電圧状態にもどるので高速動作が可能である。将来的に高温超伝導の利用も考えられる。しかし、RSFQにも問題点があり、各論理回路に正確に位相の揃った信号供給をしなければならない。この理由は、RSFQでは、ある一定のクロック時間毎に論理演算の結果を出力する形式であるからである。クロックの分配は、回路規模や周波数が大きくなると難しくなる。解決策としてハンドシェイキングでタイミングをとりながら回路を駆動する方式やタイミング回路を省くための2線式論理回路(DDST)方式などが提案された。RSFQ回路は非同期式回路に向いているため、いろいろなシステム応用も考えられている。現在、Nbプロセスを用いて実際に2−3千ゲートのものが作られている。
二分決定グラフをデバイス化するというアイデアにもとづき、単電子や磁束量子の転送現象を利用した量子効果デバイスの構築を目的としている。現在、単電子回路や磁束量子回路では、いずれも高機能化や大規模回路化に対応するための新しい回路アーキテクチャが必要とされている。BDDデバイスがそれらの物理現象に適した構成であることを示し、このデバイスを用いた論理回路の設計方針を確立する。また、二分決定グラフ論理回路の有効性を示すため、シミュレーションによる回路動作の解析を行い、種々の特性の見積もりをおこなう。
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